チケッティングとは 大会別状況 コラム 参考資料


■1990年イタリア大会まで

 1982年の大会は,日本人の海外旅行が一般化してきた社会背景を受け,それまでサッカー関連の専門家や一部のマニアだけのものであったワールドカップに,一般のサッカー好きが参入し始めた大会であった.観戦ツアーを催行した旅行会社も増加し,それぞれのツアーにも様々なコースが設定されていた.ところが1990年のイタリア大会では,ツアーの催行は,ほぼJTB1社に集約されていた.そこには,旅行会社を撤退させるいくつかの背景要因があった.
まず,チケットの入手に関わる状況である.ツアーはある程度早い時期にスケジュールを発表しないと参加者は集められないが,そこで必要なチケットが各旅行会社に配分されているわけではなかった.この頃も,旅行会社にとって必要なチケットを確保するのは簡単ではなかったのだ.
 各国サッカー協会にはFIFAからチケットの分配があったが,本大会に参加していない国には限られた枚数しか配分がないのは現在と変らない.つまり,そのころの日本に自動的に配分される枚数は十分なものではなかった.そのほかのチケットは,各大陸サッカー協会から選ばれた数カ国の旅行会社に配分され,ツアーを計画する個々の旅行会社は配分を受けた会社から二次的に分けて貰うというシステムだったと言う.そのほか,各国サッカー協会の持つチケットも,旅行会社の入手先となっていた.ヨーロッパで開催される時の南米各国,南米で開催される時のヨーロッパ各国の協会が主な配給元となっていたことが容易に想像される.これらの場合,当然,取引価格はチケットの額面ではなく,安く入手できれば大きな儲けにもなるが,予定したツアーに沿って集めるためには高いものにも手を出していただろう.チケットをツアーの計画通り集めるのが難しかったことは,筆者が参加したスペイン大会およびイタリア大会の両方が,余ったチケットによるコースだったことからも伺える.実際,イタリア大会の時,価格設定がかなり高額であったことから,飛行機代,ホテル料金,チケットの額面から見た価格差について問い合わせたところ,チケット入手価格等による正当な料金であるとの返答を受けている.
また,儲けどころがないというのは,ワールドカップが国全体をあげて開催されることから,ツアー客のためのバスの用意や宿泊の手配などにかなり制約を受け,そちらからも利益をあげにくいシステムだったのではないかとも思われる.国全体で旅行者を受け入れるシステムになっていたのは,写真館における82年大会,90年大会のツアーバスを見てもらえば分かるだろう.
以上のように,日本において海外旅行が身近になり,サッカーを遠い外国に出かけても見ようという人口が徐々に増加していったのが90年大会までの状況である.そして,チケットの入手は旅行会社が苦心することであり,世界各国から入手するコネを築いていた時代と言えるだろう.海外にコネのある人はそれぞれの国のサッカー協会から手配していた者もいたであろうが,一般のファンは,ただツアーを選んで申し込むしか方法がなかった.JTBがこの時代,他社が手を引いていったワールドカップツアーを続けていたのは,将来における明確な勝算があってのことなのか,競争がなければそれなりに得るものがあったのか,または確実にいるファンのための使命感を持っていたのか,尋ねてみたいものだ.関係者の方から投稿がいただけないか期待しています.

−つづく−




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