1998年のフランス大会では,すでにチケットのブラックマーケットへの流出が問題 になっていた.大会組織委員会は,ダフ屋を出さないと宣言していた. ところで,日本サッカー協会からチケットの提供を受けてツアーを催行していた西鉄旅行社は,日本戦観戦ツアーの日程内で見られる試合のチケットを,オプションで販売していたが,その価格は67,000円と異常な高値であった.そこで,当日,50,000円以下ならば購入しようと決め,パリ・サンジェルマンのスタジアムに出向いた. 地下鉄を降り,スタジアムに向かうと,多くの警官が目についた.これは,やはり宣言通り,ダフ屋を取り締まっているのかと思ったのだが,もっとスタジアムに近づくと,ダフ屋と”I need ticket”の札がそこかしこに見られる.警官は多数いるが,スタジアムの道を挟んだ向かい側から見ているだけである.売り手も買い手もいるのに商談が進まないのは,値段の折り合いがつかない,つまりダフ屋の価格が高すぎるということだろう.そこで,ひとりのダフ屋に聞いてみると,日本円にして50,000円と予想通りの額であった.他のダフ屋と話した仲間も,その価格で持ちかけられていた. みんなが値崩れを待っているなら,もう少し一緒に待ってみようと思うのが人情かもしれないが,私は,自分の付けた50,000円の価値を信じて,ひとり商談をすませてスタジアムに入っていった. 試合が終わって,合流した仲間から聞いた話は次のようだった.試合開始後15分くらいして,ようやく下がってきた価格で購入を決めたところ,横から50,000円の価格を付けてきた別の日本人にそのチケットは奪い去られた.次のダフ屋と交渉を始めようと思ったとき,警官が介入を始め,ダフ屋はあっという間に消え去ったという. いくら出しても購入したい者が,最後の入手場所としてスタジアム前のダフ屋を選び,運営側はスタジアムの空席が埋まるので,双方にとって都合がよいことである.しかし,それが,円満に行われるとともに,ダフ屋にもリスクを感じさせ,無謀な買い占めがなされないようにするための絶妙な間合いであると思われた.
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