FIFAワールドカップチケット問題について
ワールドカップ サッカー好きなら誰もがスタジアムに足を踏み入れ,その劇場の中で観戦したいと望むものである.そのためにはチケット,この通行手形を手に入れなければならない.ワールドカップのチケットといえば,1998年のフランス大会で起こった騒動が思い起こされるが,その後もチケット入手は困難度が増すばかりに見える.大会運営側もチケッティングの重要性に対する認識を高め,何段階にもわたる複雑な方法を取り入れているが,それによって満足度が上がってきたとも思えないのが現状である.
みんなチケットは欲しいのに,チケットは簡単にはゲットできない.現状のチケッティングには言いたいことがたくさんあるはず.そこで,このサイトではワールドカップのチケッティングについて考え,「これはひどいよぉ」とか,「こんな風になったらなぁ」とか言い合える場にしたいと考えています.ただの愚痴で終わるかもしれませんが,何かを変える可能性はゼロではないと思っています.
■チケット問題
チケッティングとは?
スポーツ観戦でチケットが必要となるのは,有料試合であること,座席指定がされていることなどいくつかの条件があります.ですから,試合を観るために必ずチケットが必要とはいえません.ここでは,多くの人が見たいと思う試合において,見られる人を決定するためにチケットが存在すると考え,試合観戦の権利イコールチケット入手としています.
文部科学省はスポーツを振興するため様々な施策をたてていますが,「見るスポーツの振興」もそのうちのひとつです.これは,プロスポーツを発展させ競技力を向上させることと,プロスポーツという産業を発展させエリートスポーツ選手の職業の確立を図る目的があります.また,高度なパフォーマンスを見ることによってスポーツ参加を促すことも目指されています.
一方,人気の高い競技は人々を楽しませる力があることから,出来る限り広く,多くの人々に見る機会を用意するべきともされています.それは,ある一定の競技大会のテレビ中継は,地上波の無料放送で行うべきという形に表れています.例えば,イングランドではサッカー代表チーム,イギリスで人気の高いクリケット代表チームの試合や,オリンピック等の中継は,地上波の無料放送で行われるように定められています.
このことから,チケットも出来る限り多くの人々の手元に届けられ,見る機会を広く提供すべきだと言えるでしょう.しかし,テレビ受信と異なり,スタジアムには物理的な限界,収容人数というものがあります.そのため,チケットを入手できる人は限られた選ばれた人にならざるを得ません.そこで考えられるのは,このチケット入手のチャンスが如何に多くの人々に開かれているのかということになります.
つまり,「見るスポーツ」を振興し,スポーツを見る権利を住民に確保するという考え方から,チケッティングは重要な意味を持つということができます.
それでは,ワールドカップのチケッティングがこれまでどのように行われ,どのような問題が起こったかをみていきましょう.ただし,ここでは資料による以外は,1982年,1990年大会の観戦経験による事実認識に頼って記述しています.
大会別状況
・1990年イタリア大会まで
1982年の大会は,日本人の海外旅行が一般化してきた社会背景を受け,それまでサッカー関連の専門家や一部のマニアだけのものであったワールドカップに,一般のサッカー好きが参入し始めた大会であった.観戦ツアーを催行した旅行会社も増加し,それぞれのツアーにも様々なコースが設定されていた.ところが1990年のイタリア大会では,ツアーの催行は,ほぼJTB1社に集約されていた.そこには,旅行会社を撤退させるいくつかの背景要因があった.
まず,チケットの入手に関わる状況である.ツアーはある程度早い時期にスケジュールを発表しないと参加者は集められないが,そこで必要なチケットが各旅行会社に配分されているわけではなかった.この頃も,旅行会社にとって必要なチケットを確保するのは簡単ではなかったのだ.
各国サッカー協会にはFIFAからチケットの分配があったが,本大会に参加していない国には限られた枚数しか配分がないのは現在と変らない.つまり,そのころの日本に自動的に配分される枚数は十分なものではなかった.そのほかのチケットは,各大陸サッカー協会から選ばれた数カ国の旅行会社に配分され,ツアーを計画する個々の旅行会社は配分を受けた会社から二次的に分けて貰うというシステムだったと言う.そのほか,各国サッカー協会の持つチケットも,旅行会社の入手先となっていた.ヨーロッパで開催される時の南米各国,南米で開催される時のヨーロッパ各国の協会が主な配給元となっていたことが容易に想像される.これらの場合,当然,取引価格はチケットの額面ではなく,安く入手できれば大きな儲けにもなるが,予定したツアーに沿って集めるためには高いものにも手を出していただろう.チケットをツアーの計画通り集めるのが難しかったことは,筆者が参加したスペイン大会およびイタリア大会の両方が,余ったチケットによるコースだったことからも伺える.実際,イタリア大会の時,価格設定がかなり高額であったことから,飛行機代,ホテル料金,チケットの額面から見た価格差について問い合わせたところ,チケット入手価格等による正当な料金であるとの返答を受けている.
また,儲けどころがないというのは,ワールドカップが国全体をあげて開催されることから,ツアー客のためのバスの用意や宿泊の手配などにかなり制約を受け,そちらからも利益をあげにくいシステムだったのではないかとも思われる.国全体で旅行者を受け入れるシステムになっていたのは,写真館における82年大会,90年大会のツアーバスを見てもらえば分かるだろう.
以上のように,日本において海外旅行が身近になり,サッカーを遠い外国に出かけても見ようという人口が徐々に増加していったのが90年大会までの状況である.そして,チケットの入手は旅行会社が苦心することであり,世界各国から入手するコネを築いていた時代と言えるだろう.海外にコネのある人はそれぞれの国のサッカー協会から手配していた者もいたであろうが,一般のファンは,ただツアーを選んで申し込むしか方法がなかった.JTBがこの時代,他社が手を引いていったワールドカップツアーを続けていたのは,将来における明確な勝算があってのことなのか,競争がなければそれなりに得るものがあったのか,または確実にいるファンのための使命感を持っていたのか,尋ねてみたいものだ.関係者の方から投稿がいただけないか期待しています.
コラム
・抽選に当たった人
日本の初戦,ベルギー戦の埼玉スタジアムは,シャトルバスを降りてからスタジアムまで,まだ少し歩かなくてはならない.一度に人が押し寄せないように,多くのスタジアムでも同様であった.また,スタジアムが目の前にあっても,座席ブロックによって入場ゲートまで遠かったりする.そうやって,人混みの中を進んでいくと,ひとつの異質な団体がやってきた.基本的にチケットは個人で購入し,旅行社が介入できないのが今回のチケット販売の特徴であった.なぜ団体なのか疑問に思い,ひとりの高齢に近い男性に声をかけてみた.彼の答えでは,コカコーラのチケットによる団体ということだった.FIFAオフィシャルスポンサーのチケットは,約20万枚とされている.15社に均等に分配しても,1試合約400枚となり,世界各国の販売促進にはそれぞれの国の試合を用いることから,この日本戦には多くの販促チケットが用いられていたと思われる.その団体が目についたのは,サッカー観戦者らしからぬ雰囲気だったからであり,コーラを好んで飲む人たちにも見えなかった.言葉をにごしていたが,どうも,小売店の人々らしかった.いくらお得意様と言っても,博覧会なみの感覚で配布するのは,コーラの応募シールをオークションで買ってまで申し込んでいる人がいるというのに,なんだか納得がいかなかった.まあ,スポンサーの自由だろうけれど.
そういえば,1998フランス大会で初戦のツールーズの試合を見た帰り,パリから日本への飛行機の隣の人は,マクドナルドで当たった人のツアーだった.彼らはフランスに行っていないと言う.ツールーズは間違いなくフランスなのだが,ツアーはバルセロナ泊で,試合の日だけバスで会場に乗り込み,そのまままた帰っていったらしい.ツールーズのような小さな町は,急に収容人数が増やせないことから,このようなツアーは少なくなかった.フランスワールドカップツアーなんだから,パリに行くと直前まで信じていたそうである.まあ,残念と言えば残念だろうが,ツールーズの先の片田舎に泊まった人のことを思えば,バルセロナは上出来なのではと思う.
・フランス大会
1998年のフランス大会では,すでにチケットのブラックマーケットへの流出が問題 になっていた.大会組織委員会は,ダフ屋を出さないと宣言していた.
ところで,日本サッカー協会からチケットの提供を受けてツアーを催行していた西鉄旅行社は,日本戦観戦ツアーの日程内で見られる試合のチケットを,オプションで販売していたが,その価格は67,000円と異常な高値であった.そこで,当日,50,000円以下ならば購入しようと決め,パリ・サンジェルマンのスタジアムに出向いた.
地下鉄を降り,スタジアムに向かうと,多くの警官が目についた.これは,やはり宣言通り,ダフ屋を取り締まっているのかと思ったのだが,もっとスタジアムに近づくと,ダフ屋と”I need ticket”の札がそこかしこに見られる.警官は多数いるが,スタジアムの道を挟んだ向かい側から見ているだけである.売り手も買い手もいるのに商談が進まないのは,値段の折り合いがつかない,つまりダフ屋の価格が高すぎるということだろう.そこで,ひとりのダフ屋に聞いてみると,日本円にして50,000円と予想通りの額であった.他のダフ屋と話した仲間も,その価格で持ちかけられていた.
みんなが値崩れを待っているなら,もう少し一緒に待ってみようと思うのが人情かもしれないが,私は,自分の付けた50,000円の価値を信じて,ひとり商談をすませてスタジアムに入っていった.
試合が終わって,合流した仲間から聞いた話は次のようだった.試合開始後15分くらいして,ようやく下がってきた価格で購入を決めたところ,横から50,000円の価格を付けてきた別の日本人にそのチケットは奪い去られた.次のダフ屋と交渉を始めようと思ったとき,警官が介入を始め,ダフ屋はあっという間に消え去ったという.
いくら出しても購入したい者が,最後の入手場所としてスタジアム前のダフ屋を選び,運営側はスタジアムの空席が埋まるので,双方にとって都合がよいことである.しかし,それが,円満に行われるとともに,ダフ屋にもリスクを感じさせ,無謀な買い占めがなされないようにするための絶妙な間合いであると思われた.
参考資料
工事中
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